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~竹から現れたお姫様~ 竹取物語/entry07

 皆様、おはようございます。
第7回目は古典文学の御紹介です。

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 古典文学全集3
【 竹取・落窪物語
 編著者/田中 保隆( やすたか )


 一、もと光る竹
   ーーーなよ竹のかぐや姫

 もう遠い昔のことになりましたが、その頃《 竹取りの翁( おきな )》というおじいさんがいました。おじいさんは野や山に入って竹を取り、それで色んな細工物を作って、暮らしを立てていました。本当の名前は、讃岐の造麻呂( みやつこまろ )といいました。
 ある日のこと、おじいさんがいつものように山へ入って竹を取っていると、一本、根本の光っている竹がありました。不思議に思って近寄ってみると、竹の筒の中が光っているのでした。よく見るとその筒の中には、三寸( ずん/ 一寸は約三センチ )ばかりの大層可愛らしい少女が座っていました。

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おじいさんは、
「 わしが朝晩見て回っている竹の中にいらっしゃる。わしの取る竹は籠( こ/かご )になるのじゃから、あなたもわしの子になるはずのお方じゃろう。」
といって、手の中に包むようにして、大事に家へ連れて帰りました。そして、妻のおばあさんに預けて育てさせました。その少女の可愛らしいこと、なんとも例えようもない程でした。大層小さかったので、始めは竹籠の中に入れて育てました。
 さて、この子を連れて帰ってからのち、おじいさんが野山に竹を取りに行くと、よく、節と節の間に黄金の詰まっている竹を見つけるようになりました。お陰で、おじいさんは段々金持ちになっていきました。女の子もずんずん育って三月ばかりでもう、十三、四の乙女程の大きさになりました。そこでおじいさんは、それまでおかっぱにしていた髪を結い上げさせ、大人の着物をきせてお祝いをしました。それからのちは部屋の外にも出さず、大事に大事に育てました。少女の姿形の美しいことといったら、この世に比べるものもない程でした。家の中は、隅から隅まで美しさに照らされて、光に満ちていました。おじいさんは、この子を見ると気分の悪い時でもすっと苦しさが消え、腹を立てている時でも、気持ちが和やかになるといった有り様でした。
 おじいさんはそれからもずっと竹を取り続け、黄金を沢山貯めて、威勢のいい長者になりました。そしてこの子もいよいよ大人になりましたので、三室戸( みむろど/今の京都府宇治市の斎部( いんべ )の秋田という神主を呼んで、名前を付けてもらいました。秋田は、竹の中にいた、たよやかな輝くようなお姫様というので、《 なよ竹のかぐや姫という名を付けました。おじいさんは、この名付けの祝いに三日間盛んな宴会を開きました。誰かれ構わず呼び入れ、歌を歌ったり舞を舞ったり大層賑やかに遊び楽しんだのでした。


 二、求 婚
   ーーー熱心な五人の貴公子

 このかぐや姫の噂を聞くと世の中の男という男は、身分の高い者も低い者も、
「 なんとかして会ってみたい。自分の妻にしたいものだ。」
と、恋したって心を乱し、夢中になってしまうのでした。男達は夜もおちおち眠らず真っ暗な闇夜にさえも、姫の住んでいる屋敷の垣根や戸口の辺りに出かけ、穴を開けたり覗き見をしたり、一目でいいから見たいものだとうろつき回りました。けれども同じ屋敷に住んでいる人でさえ、滅多に姫を見ることはできないのですから、どんなことをしても見られるはずがありません。
 他の人が行こうともしない所をわざとうろつき歩いてみても、まるで効き目はありません。
せめて姫の家の人に言葉だけでもと思って声をかけても、てんで相手にしてくれないのです。それでも、姫の屋敷のそばを離れず夜を明かし日を暮らす、身分の高い貴公子達が沢山いました。
しかしやがて、それほど深く思っていなかった人達は、
「 効き目もないのに、無駄にうろつき歩くのはつまらないことだ。」
と諦めて、姿を消してしまいました。
 そうゆう中でもなお諦めずに通ってきたのは、ものの情けのよくわかる風流な貴公子と、そのころいわれていた五人の方々でした。この方々は姫を思い続けて夜も昼も通ってきたのですが、その名は、石作( いしつくり )の皇子・車持( くるまもち )の皇子・右大臣阿部のみむらじ・大納言大伴の御行( みゆき )中納言石上( いそのかみ )のまろたりといいました。
世間にありふれた女性でも、少しでも美しいという噂を耳にするとたちまち心を動かすような人達です。この世のものとも思えないほど美しいというかぐや姫の評判を聞くと、もうすっかり心を奪われてしまいました。食事も忘れて姫のことを思い続け、屋敷の周りを歩き回るのですがさっぱり効き目はありません。手紙を書いて持って行かせても、返事もくれません。胸の思いの苦しさを詠んだ歌を贈っても、返し歌一つよこしません。何をしても無駄なことだとは思ってもそれでも、諦めないで五人の方達は、雪が降り、氷が張る冬の寒さにも負けず、かんかんに照りつけたり雷が恐ろしく鳴ったりする真夏の暑さ怖さにもへこたれず、一心に通ってくるのでした。
 この貴公子達は、ある時は竹取りのおじいさんを呼び出して、
「 どうか、かぐや姫を私にください。」
頭を地につけておじいさんを拝み、手を擦り合わせて頼むのでしたがおじいさんは、
「 私の実の子ではございませんので、思う通りにもならないのでございます。」
と、はっきりした返事もせず、ぐずぐずと月日を過ごしています。
こんな有り様なのでみんながっかりして、家へ帰るとどうしたらいいかと思案にふけり、神や仏に祈ったり願をたてたりしました。いっそ諦めてしまおうと思っても、とても諦められることではありません。そこで、貴公子達は考えました。
「 そうはいっても、結局は姫を結婚させないわけにはいかないのだ。」
 今は、それが頼みの綱でした。そうして貴公子達は、姫を思う心の深いことをせめておじいさんの家の人達に知ってもらおうと、相変わらず家の周りをうろつき回るのでした。



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 竹の中からこの世に比べる者もないほど美しいお姫様が現れましたね。
お姫様のお名前は、竹の中にいたなよやかな、輝くようなお姫様という意味の《 なよ竹のかぐや姫 》。名前を聞いただけで、御上品で優しそうなお姫様と思いますよね。
 かぐや姫に風流な貴公子といわれている五人の求婚者も現れました。貴公子の方々は、美しい女性には目がないという人達ですが、かぐや姫と貴公子、素敵な組み合わせです。
   Sakuya ☯️




著者略歴
田中 保隆( やすたか )
1911年山口県に生まれ、東京大学国文学科を卒業。聖心女子大学教授、立教大学実践女子大学お茶の水女子大学等の講師。
自然主義反自然主義の評論 」「 大正期教養派の研究 」その他、主として近代文学についての論考がある。


古典文学全集3
竹取・落窪物語
編著者/田中 保隆氏
発 行/昭和41年10月30日 第01刷 ©️
   /昭和54年11月30日 第20刷
発行所/株式会社 ポプラ社